由緒
創建
梅宮神社は鎌倉時代、第九十二代伏見天皇の正応五年(1292年)五月に京都洛西 梅宮神社(現在の京都梅津 梅宮大社)の四柱の神を勧請し、当時衣川村一帯の官僚であった猪飼道盛により創建され、子授け・安産をはじめとして酒造、縁結びの神として崇められてきました。
子授けの言い伝え
室町時代 近江守護 佐々木高頼夫人が子のできないことを憂い、当社に祈願したところ御神徳によりたちまちのうちに御子を身ごもられ安産されました。ご宿願が達せられたことから明応八年(1499年)に社殿の再建がなされ、以来 志賀梅宮大神と称され、子授け・安産を願う多くの人々の詣でるところとなりました。
四柱の御祭神
梅宮神社は四柱の神様を御祭神としてお祀りしております。
大山祇神(オオヤマヅミノカミ)
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)の父に当たる神様です。木花咲耶姫命が彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト・初代神武天皇の祖父)を生んだことを喜んだ大山祇神が天甜酒(あまのたむざけ)を造り、神々に供げたことから、酒造の神・酒解神として崇められております。また、その名の「大いなる山の神」という意味から山林業・土木業に関わる人々にも崇められております。
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
天照皇大神(アマテラススメオオカミ)の孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)に見初められ結婚。そして一夜の契りで御懐妊され、燃え盛る焰の中で、火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト・初代神武天皇の祖父)の三柱の神様を無事ご安産なされた由縁より、子授け・安産の守護神として崇められております。
瓊々杵尊(ニニギノミコト)
天照皇大神の孫に当たる神様です。御神勅を受け三種の神器を携えて葦原中国を統治するため高天原から日向の高千穂に降り(天孫降臨)、木花咲耶姫命を妻とされました。「ニニギ」は稲穂がにぎにぎしく成熟することの意味から、農業の神様として崇められております。
彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)
瓊々杵尊と木花咲耶姫命の子どもに当たる神様で、初代神武天皇の祖父とされています。山幸彦とも呼ばれ、稲穂の神、穀物の神として信仰されています。